先日、Zoom上で
カウンセリングのスーパーバイズを受けてきました
そのミーティングでは
カウンセリングのロールプレイングがあり
私もクライアント役をやりました
他の方はオブザーバーとして画面オフで見学
終わったらシェアタイムがあります
ロールプレイが始まり、私はひとしきり
相手とのもやもや、という主訴を話し
カウンセリングでは、もやもやしたものを身体のどこで感じているか
その部分に手をあてて聴いてみるというものをやりました
この問題について、自己分析は一応済んではいるものの
改めて向き合ってみたら、内観している☆という実感がすごく湧き
聴いてもらえたことで、一定の満足感がありました
ロールプレイ終了後のシェアタイム
そこでは、ジャッジや意見や否定するのではなく
自分だったらどうカウンセリングするか
または、自分自身がどう感じたか といった事を話せる人が話していくのですが
その時、私は、とーっても心が動いたシェアと
とーっても違和感を感じたシェアの、相反するふたつを味わいました
心が動いたのは、
カウンセラーの鏡のよう といってもいい程の先輩からのシェア
だいたいにおいて、会話中私は身振り手振りが多いのですが
その中でも、肝になる部分の手の動きを先輩カウンセラーさんは見逃さなかった
その話になると、私は耳にひんぱんに手を当てていたようで
私自身は自分の手の動きはすっかり無意識でした
「その耳は何を聴きたかったのでしょうね」
と言われた時
ああ、聴きたい言葉を聴けなかった事が悲しかったんだと
思いがグッとあふれました
それはゲシュタルト療法そのもの☆
ロールプレイでは出て来なかった思いでした
そして、次の方からのシェアでは、
その人自身の考えをずっと話されました
いろいろな考えが人にはあるし、とか、
自分も同じような目にあったことがあって云々・・といったようなお話。。
私は、違和感を感じまくっていました
これはジャッジ?アドバイス?
この方は何を言いいたいのかな?などと頭の片隅で思い
受け入れがたい感じが否めませんでした
カウンセリングからはほど遠い発信だったと思います
最後に、スーパーバイザーから
具体的な事実について聞かれました
「プレゼントは何を贈ったんですか?」
私はイヤリングを贈った事を、この時初めて口にしました
ロールプレイでは聞かれなかった
なので、はた!☆と だから耳に手をあてていたのか!と気がつきながら
でも、それでも
聴きたい言葉を聴けなかったのが悲しかった
それに気がついたのも事実。
改めて、とても興味深く感じました
ロールプレイの時に話していたら、カウンセラー役の人は気がついただろうか
話していたら、オブザーバーの人たちはどう感じただろうか
クライアントの感情の出どころをさぐるのは大切だけど
改めて基本、まずは「事実の確認」もとても大事☆
相手のカウンセラーさんも慣れているはずなのに
なぜかロールプレイの時に、その質問がなかったんですね
いつ どこで なにを、 などの5W1H
でも、なかったことで、改めてあとから聞かれたことで
私に気づいたものがあった という
偶然だけど偶然じゃない 考察深い学びになりました
そして終了する際、スーパーバイザーは
今回のロールプレイとは関係ないと前置きしながら、誰に言うともなく
カウンセラーは、どんなに自分の思いがあっても
クライアントにあくまでも寄り添うという姿勢を崩さないように
自分の考えを言う場ではないのでね
と、大変あたりまえのことを述べられました
2番目の方のシェアで私が感じた違和感はまさにそこで
よく言ってくださいましたー! ひざの下でgood job!と
こぶしを握りました^^
学ぶ時間も大切だけれど、人のため自分のため
カウンセラーも定期的に自分を整えることが必要です
メンテナンスして自分を守る時間をとる♪
「日々精進」は大事 そして「時々お休み」も きちんと入れて
バランスよく過ごすことがよりよいカウンセリングにつながると
改めてしみじみ思う葉桜の候でした
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました☆